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『デートしよ♡』

榊田和伸ハート.png

​本編後、あなたと和伸が野球観戦をする話


 


 

 

そういえば、言っていたっけ。
デート、したいとか、なんとか。

目の前にいる男の背中を見る。もうなんだか見慣れた視界だ。
あなたは少し目を伏せて歩みを進める。


秋は一瞬で過ぎ去って、冬に近づく浜風はやけにつめたい。

「デートしよ♡」と、文字通りのハートマークの言葉尻で捕らえられたあなたは、和伸と共に屋敷から出て歓楽街を歩いていた。


久しぶりの街中。急に人が多くなると妙な気分だ。以前は道行く人たちと同じように「ふつう」の日常を過ごしていたのに、人生は本当になにが起こるかわからない。
もちろん、いい意味ではなくて。


 

「あ、」

「……」

「手、つなぐ?」


 

突然思い出したかのような振り向きざまの言葉に、なんでもないようなトーンで返す。


 

「…いいえ」

「…ん、そう」


 

ここで手を繋いで、だからなんだというのだ。
あなたは、もう一度和伸の背中を見つめて目を伏せた。

こんな日が、あれからずっと続いている。
急に結婚してほしい、子どもを産んでほしい。すきすきすき。ずっと君のこと見てたよー。
なんて、よほどのイケメンでも無理がある。いや普通にきびしい。


しかも今日からヤのつく姉御道!ときた。終わりだ。

これは来世における徳を積む行為に等しいのだ、そう思うしかない。


重い足枷のはめられた足を一歩ずつ踏み込む。もうすぐ馬になった父親が顔を出すころよ。


 

「でもはぐれない? こっから人多くなるけどさ」

「…大丈夫です」

「ほしかったら言ってな」


 

「これ」と和伸が右手を掲げてみせる。

同じく右側で、速足のカップルが恋人つなぎで横切った。どこかの野球チームのユニフォームとキャップを被っている。
今の若者は謎にメジャー志向だから、そういうファッションだろうと思いきや、いつの間にかどこぞのスイミーのようにあなたと和伸だけが黒い目になっていた。

(な、なに!?)

信号前、とまる。上を見る。大きなスタジアム。
そこであなたはようやく理解した。

デートの場所はここ。野球を観るのだと。


 

「…急すぎる」

「試合、見たことある?」

「…いや、あんまり」

「僕もー。成人してからは行ってない」


 

なんならここ初めて来たし、と斜め前の和伸は笑う。
信号が青に変わってその場にいる人が一斉に動き出す。

流動的な人の流れに逆らっても、今さら。
あなたはゆっくりと目の前の背中を見つめ返した。

 

 

今日の試合はここ一番ではないが、落とせない重要な試合らしい。


シーズン最後を飾る日本シリーズ。
相手は特に強いチームとのことで、ゲーム差、借金というやつにかなり差がある。
でも、今のマシンガン打線ならうちは負けない!と、前に座るぶかぶかのユニフォームを着た小学生が高らかに豪語していた。

あなたと和伸は一塁側、スタンドの一角に並んで座っていた。
これが本当にこの人のしたかったデートなのだろうか、いや、たまたまだと思いたい…。

(だって、こんな関係性で来るところじゃないでしょ…ぜったい…)


 

「かなりむずかったらしいよ。チケット取るの」

「……誰かにもらったんですか」

「そー。取引先のひと。ファンクラブ入ってて、やっと取れたけど予定はいっちゃってー」


 

──ふっ。


 

「…かわいそうですね」

「…ほんとに思ってる? それ…」


 

性格ゆがんだね、君。
あなたのせいですよ。

お互いの皮肉はスタジアムの歓声でかき消される。
スターティングメンバーの発表だ。誰もしらない。後ろからしらない人の名前が叫ばれる


四方八方から飛ぶ老若男女の期待の歓声。
そうだ。デートの場所がどうこうじゃなくて、そもそもこんな熱量のある人たちと一緒にいていいはずがない。
それに正直、野球は興味ないから。勝敗はどうでもいいし。

そんなことより誰か、たすけてくださいよ。
私、いま、隣のヤクザに監禁されてるんですよ。いつか殺されるかもしれませんよ。
ねぇ、みなさん。いいんですか。見殺しですよこんなもの。


 

「…相手つよそーだね」

「……そうですね」


 

三万人、周りに人がいたって誰も自分を助けてはくれないのだ。
結局世界はそんなふうにできている。

1回表からゲームは動いた。
二番手の打者がライトへヒットを打ち一塁へ、そして非情にも2ランホームランをお見舞いされ、レフトスタンドは歓声がおおいに沸く。
一塁手が脚の速い選手であること、四番打者が文字通りスラッガーであることは素人目にもわかる。


なるほど。確かにこのチームは強い。

その後、1回裏は得点を奪うことはできず、そのまま2回へ。
2イニング目はつつがなく流れ、3イニング目へ突入。
そしてまた3回表、相手チームに追加得点を取られて先発投手は交代を告げられた。

野球選手にしては少しひょろっとした、その投手がダグアウトに戻ると、後ろから「つぎ期待してるぞーッ」と男性の野太い声が響く。
きっとその声は届いてはいないだろう、けど、彼の背中がもひとつピシっと正されたような、そんな気がした。


 

「…勝てます、かね」


 

あ、間違えた。

こんなこと言うつもりなかったのに。
と、あなたはゆっくーりと和伸の方へ目だけやる。


 

「…どうだろ。ピッチャー崩れたからね」


 

思ったより、だ。ひと言でいえば。


 

「…わかる? 次に出てくるバッターがボールを打ったら、一塁、二塁って走ってくの」

「わ、わかりますよ。それくらい」

「ほんとぉ? ついていけてる?」

「うる、うるさい」


 

(…やっぱり勘違いだった)

距離がぐっと近づいて、離れる。
和伸はおもむろに通路側へ体を寄せて、辺りを見渡す。そして売り子の女の子へ声をかけた。


 

「ナマ、ふたつください」

「現金とQR決済ありますけど、どうしますー?」

「あー…わかんないから現金で」


 

「はーい」と元気よく返事をして、和伸から現金を受け取った売り子はカップにビールを注ぐ。
その慣れた手つきを横目で見ながら、あなたは眉間にしわを寄せる。


 

「どうぞー。ありがとうございました~」

「ありがと~。はい、君の」

「…いや、私頼んでないです」

「なーに言ってんの。やっぱ野球観戦にはビールっしょ」


 

奢りとか、考えてる?
と、和伸はカップに口をつけて、キンキンに冷えたビールを流し込む。


 

「ッ、はあ~…今さらやん」

「ち、違います…! 寒いし、いま外で飲みたくないっていうか」


 

(こんな慣れてない、傾斜のすごいとこで飲んだら危ないじゃん…)

過敏すぎるだけ?私がおかしいのか…。
というかもう、この人に言ったってしょうがないじゃん。頼んじゃったし。飲むしかないし。

「もういいです」と、あなたは意を決してカップに口をつける。
「怒んないでよ」と、和伸は眉をひそめる。
試合はもう、中盤に差し掛かっていた。


 

「…あ、見て」

「……」

「あの人、組長の好きな選手」

「…は」


 

カップから口を離して目を向ける。
和伸が指差す方向は一塁ベース。ヒットを打った打者ではない、代走の選手がマウンドへ注視している。


 

「…あの、若い選手ですか?」

「え、あー。ちがうちがう。後ろの、コーチの方」

「…あぁ…あの人」


 

一塁ベースの傍で待機しているベテラン風の人。それがベースコーチだ。
遠目すぎて顔はよくわからないが、一塁にいる現役選手と比べても体幹がしっかりしている。
確かに年齢は、組長と同じくらいかちょっと歳下。


 

「昔、一回ね、観に行ったの。神宮球場。東京の」

「……」

「あの人と、母親と。まーそん時は父親だって知らなかったから、いかちいおじさんって感じだったなぁ」


 

「マジで、かっこよかったんだよ。一番バッター。脚速くて、最高のリードオフマン」


なんて、その横顔。
憧れの選手を見つめる少年の瞳。

どっちを見てるんですか、って訊いたら。本当に、殺されるかも。


 

「…なんて言ったらいいんですか」

「…なにそれ。なにも求めてないよ」

「こ、コドモデキタラ…ショウライヤキュウ、させたいデスネ…」

「はは。いらねぇって、そういうの」


 

「思い出したから、言っただけー」

もう一度、横顔をのぞき見る。
あーあ。もう戻っちゃった。

 

 

今度は冷たい夜風が火照った体を冷ましてくれる。
スタジアムを出て帰路につく道すがら、町中華の店に入った和伸とあなたは、同じテーブルに腰をおろして向かい合った。


 

「はいよー。注文おきまり?」


 

コトン、水滴がしたたるグラスがふたつ、テーブルに並ぶ。


 

「おススメあります?」

「そりゃやっぱりラーメンよぉ。セット、おすすめ。ちょっと安くなってるから」

「君は? 同じでいい?」

「はい、まぁ」

「じゃあラーメンセット、ふたつで。一個はねぎマシマシで」


 

「はいよー」

ふきんを持った店主の奥さんは厨房へ引き返す。

年季の入った夫婦の営む中華料理店。
店の中にはチラホラと、地元の野球チームのユニフォームが並んでいる。
寡黙な店主が作るのは昔ながらの醬油ラーメン。具はメンマ、ナルト、味玉、ねぎ。
分厚いチャーシューなんて使わない。変なこだわりも、店のルールもない。
でも、店内で写真をパシャパシャと撮る客はひとりもいない。

待つこと5分。
ふたりの静寂をかき消すように、奥さんが「おまたせぇ」とラーメンを運んでくる。
ちょっとしてから、もひとつ。セットの炒飯も。


 

「いただきます」

「…いただきます」


 

ぱき、割り箸をわって、ラーメンをスープにくぐらせる。
まずはひとくち。それから、崩れたねぎの瓦礫をレンゲに乗っけて放り込む。

レンゲでスープをすくって口にそそぐ。
あっさりとした味わい。魚介の旨みが舌を刺激する。インスタントでは味わえない、人の作った料理。
ラーメン鉢に染み付いたこの油っぽさが、またたまらない。

それからふたりは同時に炒飯のレンゲを手に取り、すくって食べる。

見た目はちょっとしっとりしているが、やはり間違いない。パラパラと口の中でほどける、プロの技。
ゴロゴロした炒り卵は歯ごたえよく、高菜も同時に触感のアクセントになっている。細かい人参はかわいらしい。
ラーメンの醤油味とはまた違う、鶏ガラ風味の味付けがベリーマッチだ。

はふはふ、ふーふー…
ずずずっ…ずずず……

髪が垂れてこないように耳にかけて、ただただラーメンをすする。
目の前の和伸も同じように、炒飯をかきこんだ。
もうすぐお冷がなくなりそう。


 

「…きょう」

「……」

「…残念でしたね」


 

とぽぽぽ…
ナイスタイミングで奥さんがお冷を注いでくれる。


 

「…次は勝てるだろ」

「そうですね」

「ファンになった?」

「…いや、別に」

「なんでだよ。なろうぜ。せっかくここに住んでんだから」

「そんなの人の自由じゃないですか」

「そっか」

「そうですよ」


 

和伸がラーメンを飲み干す。
ちょっとだけ、鼻の先が赤くなっていた。


 

「明日、役所いこっか」

「…え」

「婚姻届、出そう」


 

ボーン…
22時を知らせる時計の音色が店内に響く。


 

「……嫌、かも」

「イヤとか言うなよ」

「…ふふ」

「…ヨコハマ、優勝してほしいなー」

「そうですね。したらいいですね」


 

炒飯、最後のひとくち。ぱくっ。

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