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『思ってることなんて』

ロクハート.png

​本編後、あなたとロクが歯医者に行く話


 


 

 

ロクを拾ってからのあなたは、かなり忙しかった。

いや、厳密に言うと彼を拾う前も仕事は多忙を極めていたし、それに伴って休日も仕事の疲れを取るための一日になることが多く、ちょっとした用事でも外に出るのが億劫だった。

そこからロクを拾い、彼の戸籍謄本を取るために彼が過去に入所していた児童養護施設を探し当て、今は経営者が変わっていたため、色々とややこしい事情を説明して戸籍謄本を送ってもらい、そこから役所に行って保険証の発行の手続きを行って…。

なんだかんだありながら、これでロクも病院に行けるようになったのだ。


ただ、問題はここからだろう。

──果たして、彼がそう易々と治療を受けてくれるだろうか。


 

「………」


 

日も落ちてきた頃。

リビングに立ったあなたは、先ほどまで飲んでいたコーヒーのカップをシンクに置いて、テレビ前に座るロクを見た。

病院で治療を受けられるようになった。
なんて、そんなこともつゆ知らず、夕方のニュースには興味のない様子でタブレットを両手に動画を見ているロクは、なにかおもしろい場面でもあったのか「ふふ」と頬をゆるます。

あのタブレットだって、もちろん。使わせるつもりはなかった。
彼にバレたらきっと使いたいとせがまれるだろうと思って、ずっと隠していたのだが…。少し前にリビングに置いたままにして出かけたことがあり、それからというもののあなたのタブレットは、ロクと共有の端末になってしまったのだ。


 

「…ロク」

「………」

「…ロク?」

「………」

「ロク!」

「──っ、あ! あ、はいっ」


 

三度目の正直でやっとこちらへ振り返ったロクを見下ろし、あなたはちょっと眉をひそめて小さく息をついた。


 

「…今なに見てるの?」

「…え…。あ、あにめ…」

「ずっと見てるね、それ」

「う、うん…! 面白いから…」


 

(…注意力散漫になってるのはよろしくないけど、楽しんでるならいいか)

ゲームは一日一時間、同じくタブレットも一日一時間。
そういう約束を定めているので、まぁ無理やり彼から楽しみを奪う必要性はない。

サッと、あなたは一定間隔をあけてロクの隣に腰を下ろす。
それからなんでもないように、口を開いた。


 

「ロク、今週の休み。歯医者に行こうか」

「……は、はいしゃ」

「そう。歯医者」


 

案の定、ロクは歯医者を知らないようで、あなたの言葉を反芻して訝しげな表情を浮かべた。

とはいえなんとなく、その言葉の響きから何かを察したのかすぐにタブレットに目を移して動画サイトの検索バーをタップする。
一文字ずつ、ひらがなを探して「は、い、しゃ…」と文字をタップするその横顔を眺めるあなた。

最近のロクは、なにか自分の知らない言葉が出てくると、すぐに調べたがるようになってきた。
そういう年頃なのだろう。
19歳とはいえど、心はまだ小学生レベルなのだから。知らないことにはなんでも興味津々だ。


 

「…あ、これ」


 

検索結果が表示されて、様々な歯医者をモチーフとした動画が飛び出してくる。

動画サイトで歯医者なんて調べることは滅多にない。あなたも少しロクに近寄って、タブレットの画面を覗き込んだ。

ロクの指先が動いて、タップした動画──それは小さい子どもが治療を受けている短い動画で、女の子が恐怖を必至に耐えながら拳を強く握り締めている姿が映し出される。
そしてその動画を撮影しているのであろう女の子の母親の声と、ギュイイイインという無常なドリルの音。

まさか、仰向けになった状態で、口内に何かを突っ込まれるようなものだとは思ってなかったのだろう。
タブレットを持ったロクの両手が、かすかに震えているのが分かる。

とはいえ、ここで彼に「歯医者なんてそんなに怖くないよ~」と噓をついて騙すような真似をするつもりはなかったし、結局果てに待つものが同じ恐怖なら先んじて「真実」を伝えておくべきだ。


それは、ロクと過ごしてきた数か月間であなたが学んだ「教育方法」だった。

加えて言うと、ずっと劣悪な環境で育ってきたロクの体で一番表面的に目立っていたのが、奥歯の汚れだった。
素人目では、これが虫歯なのかどうか分からない。
内科、眼科と…診てもらわなければいけない箇所はまだあるが、優先順位でいえば歯医者だろうとあなたは考えていた。


 

「…じゃあ、明後日の昼。予約しておくからね」


 

有無は言わさぬ。
と言わんばかりのニッコリ笑顔を浮かべるあなたに、ロクは予想に反して静かにこくりと頷くので、少し拍子抜けする。

(…あれ。絶対嫌がるかと思ってたけど)


 

「…お、俺…行ける…。全然こわくないし…」

「………」

「ひとりでも、大丈夫…っ!」


 

パッと顔をあげて、あなたに向き直るロク。

「流石にひとりじゃ行けないでしょ」と窘めつつも、あなたは彼の手にあるタブレットをひょいっとかすめ取って立ち上がった。


 

「もう一時間経つから終わりね。続きはまたあした」

「…あ…。う、うん…」

「ほら、お風呂はいっておいで」


 

テーブルの方へ振り返るあなたの背中を名残惜しそうに見つめながら、ロクは「はい…っ」と口にしてふらふらした足取りでリビングを後にした。

 

 

──あんなこと、言うんじゃなかった…。

やけに白く清潔感のある待合スペースで、あなたの隣に座ったロクは青ざめた顔で下唇を噛んだ。


受付を挟んだ壁越しに聞こえてくるのはけたたましい機械音。あの、前に動画で聞いた音と同じもの。

あなたに歯医者に行こうと言われたあの夜。
その、女の子が治療を受ける動画を見て、ロクは虚勢を張ってしまった。

俺の方が年上だし、俺なら怖くても我慢できる、なんて…。
あなたにかっこ悪いと思われたくなかったのだ。


 

「………」


 

ふと、隣でスマートフォンを眺めるあなたの横顔を覗き見る。

本当はひとりでなんて来られないし、ずっと一緒にいてほしい。


でも、そんなことを言ったらあなたは困るかもしれないし…イヤかもしれない。

…あぁ、うう…。やっぱり──


 

「(…かえりたい…)」


 

と、その刹那、診療室から出てきた歯科衛生士が、バインダーを片手にマスク越しで名前を呼んだ。


 

「新山…新山禄さーん」

「あ、ロク。呼ばれたよ」

「──あっ、あ!」


 

小さな声で「はい…」と返事をして、ロクはイスから立ち上がりどこか緊張したふうに診療室へと歩いてゆく。
そんな背中を前に、あなたはふっと笑って足を進めた。

いつも訪れている馴染みの歯医者なので、ロクの説明はスムーズだった。
19歳で初めて治療を受けることと、精神的に少し幼いこと。
担当の歯科衛生士は快く応えてくれたので良かったが、やはり安心はできないので念のためあなたも治療に同行する。


 

「…え、あれ…。君もくるの?」

「うん? そうだよ」

「………」


 

後ろに感じたあなたの気配に振り返ったロクは、その言葉にどこか安堵した様子で口角をあげて部屋に入る。

歯科衛生士の誘導に従って、おずおずとユニットに腰かけるロク。


個室になったその部屋の隅、ユニットの隣にあるスペースで用意してもらった丸椅子に座って、あなたはバックからハンカチを取り出した。
自分用ではない、もちろんロク用だ。

「じゃあ始めるね~」
と、歯科衛生士が丁寧にロクの歯を診てゆく。仰向けになってずっと口を開けていなければならない、そんな状況は彼にとって初めての経験だろう。
あなたは少し心配しながらロクを見る。

すると、歯科衛生士は「う~ん…」と小さく唸って、あなたの方へ視線を向けた。


 

「ちょっと虫歯かなって箇所があってー…」

「あ、奥ですよね?」

「そうですそうです。ここは後で先生呼ぶので、先に歯石取っちゃいますね」


 

幸いと言ってもいいのか、あなたと出会う前のロクはほとんど満足な食事を摂れていなかった故に、歯石などは少ないらしい。
一緒に住むようになってからは、あなたがきちんと歯を磨かせていた賜物でもあるが。

細く尖った針のような器具で、歯茎ちかくの歯石を削りとってゆく。
ロクはずっと目をぎゅっとつむっているため、今はなにをされているのか分かっていないのだろう。
きっとあの器具を見たら怖がるだろうから、そのまま目をつむっててくれ…。とあなたは心の中で切に願う。

それから数分して歯石の除去が終了し、ユニットが元の位置へ立ち上がる。
慣れない手つきで紙コップを持って口をゆすぐロクをよそに、歯科衛生士は「じゃあ先生呼んできますので」と部屋から出て行った。
あなたは軽く頷いて、ゆすぎ終えたロクの口元へハンカチを持っていく。


 

「…あ、ありがとう」

「どう? 痛いとことかある?」

「…ううん…。大丈夫…」


 

とはいえ、やっぱり虫歯はあった。
虫歯がなんのことだか分かっていないロクは、もう一度水を口にふくみほっぺたを膨らませている。

(…まぁ、言っておくべきかな)


 

「…ロク。次は…もしかしたら前の動画で見た感じになるかもだけど」

「えっ」

「あ、まだ分からないけどね。虫歯があるっぽいから…」

「…む、むしばって……びょうき…!?」

「…う、うん…。病気かな…放っておいたら結構痛いし、大変」

「………」


 

完全に押し黙った状態で、ロクは唖然と部屋の窓の一点を見つめる。

流石に怖がらせてしまったと思い、あなたは少しトーンをあげて「大丈夫大丈夫」と笑ってみせた。


 

「そんなに深い虫歯じゃない…と思うし、大丈夫だって! それに、もしもの話だから」

「……い、いや」

「……」

「全然…こわくない、から」


 

おー…そうかぁ…。
ここまで強がるとは思ってなかった。

流石のあなたもロクの虚勢に気が付いたのか、緊張して固まるロクの顔を横目に「そっか」と椅子に座り直す。
これも、ひとつの成長と言っていいのだろうか。

(理由はよく分からないけど、とりあえず見守るしかないかな)

そんな中、扉が開き先ほどの歯科衛生士と歯科医師が部屋に訪れる。
急に人が増えて驚いたロクだが、歯科医師の言葉に素直に従って仰向けになり、口を大きく開いた。


 

「…あー確かにあるね。小さいけど」

「……!」


 

(…やっぱり、むしば…あるんだ…っ)

頭上で聞こえる歯科医師の言葉に、目をつむったままのロクは拳をぎゅっと握り締める。
カチャカチャと、自分の口の中から聞こえてくる無機質な音は心臓を逸らせて仕方ない。
いったい、今から何をされるのだろう。


 

「もう今詰め物しちゃおうか。すぐ終わるだろうし」

「そうですか…。分かりました」

「麻酔するまでもないかなって感じだから、このまま削りますね」


 

け、削る…。

歯科医師とあなたの会話を耳にいれながら、ロクは拳に更に力を込めた。

そして怖いもの見たさで少しだけ目を開き薄目で頭上を見上げると、そこにあったのはあの動画で見たドリルようなもので、ロクは開いた口をもっとあんぐりさせた。


 

「じゃあちょっと削っていくねー」

「──う、あっ…! お、俺っ…!」


 

いきなり現れた悪魔のような強靭な牙に、ロクはぐっと口を閉じて両手で歯科医師の腕を押しのけてしまった。

そしてユニットから勢いよく起き上がり、思わず隣のあなたへ視線を向ける。


 

「…ろ、ロク…! ちゃんと座って」

「──や、やっぱり…っ…むり…! 手、にぎって、ほしい…っ」

「……え、」


 

ロクを落ちつけようと椅子から立ち上がったあなたは、目を見開いた。
半ば涙目になって訴えるロクの訴え。

思ってもみなかったその言葉に、あなたは驚きながらも戸惑いを隠せない。


が、なんだろう。ふと隣から感じる二人のこの視線は…。
まるであなたが無理強いし、治療をさせているような、そんな──。

そうじゃないんです、と言いたい気持ちをぐっと抑えて、あなたはロクの手を取る。
そして、ぎゅうっと力をこめて彼を見た。


 

「…が、頑張って…ロク…!」

「…っ、う、うんっ…!」

「じゃあ削りますねー」


 

再びドリルの回転する音がロクの頭上で響き渡る。
それが口を侵入する感覚を無き者にしようと、一層深く目をつむった。


 

「はい、力ぬいてねー。怖くないよー好きなこと考えてー」

「…っ、──、ちゃ…ん」

「…んー」

「──……ちゃっ、ん…!」

「あーロクくん、口で言わなくていいよー。心の中で考えてねー」


 

どんどんと強く握られてゆく手のひらの熱を受ける。
あなたはなんとも言えない表情で「何これ…」と思いつつ、ロクの治療を見守った。

 

 

帰り道。
すっかり夕暮れ時になり涼しい風が心地よい。

自分の少し後ろを歩くロクを横目で覗きみて、あなたはどうするべきかと悩んでいた。

初めての治療を頑張ったご褒美で、特別に小学生までの子どもが回せる歯医者限定のカプセルトイ。
その景品である食べ物の形を模した消しにくい消しゴムを手に握り、とぼとぼと歩くロクはよっぽど意気消沈しているとみえる。
だって、大好きなガチャガチャをしてもこんな風なのだから…。

あなたとしては、よほど虫歯の治療が怖かったのだろう、仕方のないことだが悪いことをしてしまったなと思っている。
が、実際はそうではない。

もちろん治療は怖かったし、二度と行きたくないと思っているが、結局怖がってしまいあなたに甘えることになってしまったと、ロクの心の中はそんなやるせない気持ちが渦巻いていた。


 

「…ま、まぁあれだね。良かったよね、虫歯はやく見つかって」

「……う、うん」

「…月に一回ぐらいはケアしてもらった方がいいかなー。ほら、私も一緒に行くし」

「………」

「………」


 

(…そんなに嫌だったのか。すごい落ち込みよう)

背に腹は代えられないか…と、あなたは秘技「スーパー寄ってなんか買っていこうか、お菓子とか」略して「ス寄菓子」を使おうかと悩む。

これが一番いい方法だとは思ってないが、お子さまのロクにはこれがよく効くのだ。


 

「…ロク、これからスーパー…」


 

振り返って、そう言いかけたその時──ロクの瞳とぶつかってつい口を閉じた。
私の番じゃないし、意味がない言葉だと、そう感じたから。


 

「…あの、俺…その…」

「………」

「…か、かっこ悪くなかった…?」

「……え?」


 

かっこ悪い、とそんなロクの言葉を聞いてあなたは素っとん狂な声をあげる。
そして、今まで何故彼が妙な強がりをみせていたのかすべてのピースがつながって、思わず「ふっ」と笑みをこぼす。

そうだ。
ロクは、子どもは子どもでも…。


 

「…いや、そんなことないよ」


 

足を止めたロクのところまで歩み寄り、そっと空いてる方の手を取った。


 

「すごくかっこよかった」

「…!!」

「次行くときも、頑張ろうね」


 

単純なのか、成長したのか。
分かりにくいのか、分かりやすいのか。

幼いなかに現れた、ロクのちょっとしたプライドみたいな片鱗。

嬉しそうな笑みをうかべて力強く頷くその顔は、夕日に照らされて少しだけ眩しかった。

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