

今日は2月14日。バレンタインらしい。
何度かチャンスはあったものの、和伸があなたからチョコをもらうことはなかった。
和伸はあなたの自由を奪っている。その度に施しをするから、主になにかをプレゼントするのはむしろ和伸の方だった。
だからしょうがない。期待はしない。
今さら、こんな自分が、彼女からチョコレートをもらうだなんて夢物語としか言いようがない。
(…うん。いつも通り、いつも通り)
こんなに緊張したっけな。
まるでバレンタイン当日に教室に入る中学生みたいな、そんな感覚。
当時こそ、そんな緊張することだってなかったはずなのに。
ふう、とひと息ついて庵の扉をノックする。
いつも通り返事はない。
あの夜以降、あなたと和伸の距離はぐっと遠のいてしまった気がする。気がするというか、実際そうなのだろうが。
「入るよ~」
「……」
「…入りまーす」
ガコン、と扉のかんぬきを外し、中に入る。
ゴー……
うっすらと暖房の音が聞こえる。その部屋の真ん中に、彼女はいた。正座してこちらを見ている。
和伸をずっと待っていたかのように。
「……」
「……」
「…調子どう?」
「…ええ、まあ」
ゴーーーーー…
ゴーーーーーー…ゴゴッ
「……」
とりあえず、座ろう。
和伸はあなたの前に腰をおろして、そっと顔色をうかがうように目をあげる。
「…怒ってる?」
「…いいえ」
「…とはいいつつ~?」
「怒ってないですよ。本当に」
「……」
そうは言っても。いつもよりやけに冷静なあなたに、彼は困惑するほかなかった。
なんなら、今ここで、殺されるんじゃないかとまで考えた。
だって、自分を殺せばここから逃げられるし。
「…これ。どうぞ」
「え?」と、和伸は目を見開く。
すっとあなたが畳の上へ置いたのは、紛れもなくバレンタインデーのチョコレート。が入っているであろう、小ぶりな箱で。
―――いや、
「え、え、ええ、これ、僕に…?」
「はい」
「い、いやいやいや…。うそ…だろ…」
「なんでですか?」
「だって、ほら、きみ、僕のこと…」
言いかけて、やめる。
これ、ふつうにもったいない。いま、「きみ、僕のこと嫌いでしょ」なんて言ってみろ。興ざめだろう。そんなもの。
ここは、ありがたく受け取っておこう。そう、彼はゆっくりとその箱へ手を伸ばした。
「…あ、ありがとう、ございます」
「…蓮さんに買ってきてもらいました。だから手作りじゃないです」
「いや、ぜんぜん…十分ですよ…?」
「でも、毒、はいってます」
「…毒」
「はい。毒」
「…毒かあ…。ええ…毒……」
「まじもんの、毒」
カポーーン…
庭のししおどしがやけに響く。
「食べられますか?」
ずっとうるさかった心臓が、みるみるうちに落ち着いてゆく。
彼女のその、冷たい声が火照りを覚ましてくれた。
ああ。やっぱり僕って、嫌われてるなあ。
「…もちろん」
「……」
「君がくれたものだから。死んでもかまわない」
さっと梱包紙を外して箱を開ける。
そうして和伸は、逡巡することなく一粒のチョコを口にふくんだ。
「……」
「……」
「…ん、うッ」
まさか、と目を見開いた彼は、一瞬立ち上がる。
庵の扉に向かおうとするが、足に力が入らない。よろめきながら、口元を押さえて目を泳がせる。
次第に、ゆっくりと、青ざめて、目の焦点が合わなくなって、白目を剥いて…。
ほら、
「…うわー……死ぬかと思った」
「……」
「…何点? いまの」
どすん、と畳に尻餅をついて、そのままあなたの膝に頭を乗せた和伸がほほ笑む。
「…40点ぐらい」
「ひっく~~(笑)」
まったく、なんとも。ひどい女につかまった。
入口の扉からすきま風が吹いてくる。
立春の、どこか淋しいのに、ほのかな温もりが二人をつつむ。
「割とリアルな死に様、イメージしたんだよ」
「でもやっぱり本当に死んでみないと、伝わらないかな」
「へえ。つまり君は、僕に死んでほしいわけだ」
あなたの髪がさらり、下りてくる。
和伸はそれにゆっくり触れた。
「…そうですよ。当たり前でしょ」
そんな顔されたら、死ねるわけないのに。
和伸は満足そうに笑って瞳を閉じる。
その頬に、あなたの手のひらが添えられたことに、気づかぬまま。
ちい子は悩んでいた。
スーパーの《バレンタイン2024》と書かれたの特設売り場。ハート型のバルーンが並ぶその横で、仁王立ちをして。
ちい子には今、小学校の同じクラスに好きな男の子がいる。
三年生になってまたクラスが変わって、出席番号順で後ろになった子。彼は朝礼の時いつも、彼女のツインテールを後ろから引っ張ってくる。
あまりにも強く引っ張ってくるので、一度大ゲンカになったこともあった。
だが、それがきっかけで仲が深まったのも、また事実。
ちい子は今年、ついに、その彼へバレンタインのチョコを贈ることに決めた。
一大決心だ。お母さんにはすでに伝えてある。
あとは、そう。
「手作り」か、「出来物」か…。
そこが重要なポイントだ。
(…このいくさ、しょうはいはここにかかっている)
彼はそこそこモテる。
意地悪だけど、足が速いから。おまけに走り高跳びもできるから。正直なところ無双している。
そんな、きっとたくさんチョコレートをもらうであろう彼の、唯一、印象に残るチョコレートを贈りたい。
む、むむむむ…。
しかめっ面で考えこんだのち、ちい子はひとつのチョコレートに的を絞った。
ハート型のキャンディーチョコ。
これだ、これがいい。このチョコを土台に自分でデコレーションをしよう!
「――えっ」
小さい手がチョコを取る前に、後ろからぐわっと大きな影が彼女を飲み込む。
一瞬、自分がなにか、怪物に食べられたのかと、錯覚してしまうほどに「それ」は強大だった。
「ぎゃ、ぎゃ」と声が漏れる。
何故かって、本当に後ろを振り向くと、黒くて大きな影があったから。
「めっちゃええやんこれ~」
「…よ、ようかい」
「え?」
ちい子の存在にやっと気づいたのか、「それ」は視界を下げてにんまりと怪しい笑みを浮かべた。
「ようわかったね」
「…そ、それ、かうの…?」
「…うーん。悩み中。もっとデカいのあればええんやけど」
「もしかして、これほしいん?」と言われ、彼女はこくこくとうなずく。
だって、これがないとだめだ。これじゃないと、本命チョコにならない。
真っ赤なスカートを両手で握りしめ、ちい子は意を決して口をひらく。
「そ、それは、女の子が男の子にわたすものだから、あなたはだめだよ」
「…あ。そーゆーやつなんや。これ」
黒くて大きいその人は、チョコレートを手に持ったまま近くのバルーンに視界を移す。
やっぱり、あんなに大きいバルーンと同じぐらい身長がある。ああ、恐ろしい。恐ろしい。
早くここから逃げたいが、そのチョコレートは奪取したい。なんとしても。
「きみは誰かにあげるの?」
「そ、そう。同じクラスの子に、あげるの」
「ふーーん」
「…あなたは、だれかにもらえないの?」
なんだか、つい、ね。
彼が寂しそうな顔をした気がしたから、訊いてみた。
でも、訊かない方がよかったと、彼女は少しだけ後悔しました。
「うん。だってその前に全員しんでまうし」
「……」
「いつも女の子からいいもんもらえるから、ええんよべつに」
「ほしいものは全然、くれへん子ばっかやけど」
おもんないよなあ、こんな世の中。と「それ」はちい子にほほ笑んだ。
そんなこと、小学生に言われても…。
でも、もうその人は、いやとっくに最初から人ではなかった「それ」は、すべてに飽きてしまったのだろうと思いました。
悲しい怪物です。いや、見た目は本当に妖怪です。ちい子には、そう見えました。
「…じゃあそれは、ほしい?」
「…いや、いらん。やからきみにあげる」
すっと、腕が上から伸びてくる。
もう別に怖くはなかった。
ちい子は「それ」からチョコレートを受け取って、顔を上げた。
「いつか、だれかにもらえるといいわね」
「…ヘンなしゃべり方やね。きみ」
「おじょうさまだから。あたし」
「自分でゆうことちゃうよ」と、「それ」は少しだけほくそ笑む。
そして、そのまま向こうの青果売り場へ消えていった。
夢みたいな、おとぎ話みたいな。見た目はこわいけど、少しだけ心優しい妖怪に出会った。
そのあと合流したお母さんに「さっき、黒くて大きな人を見たでしょう」と尋ねると、「そんなのいなかったわよ」なんて言う。
ただ、スーパーはのちに潰れてしまいました。
理由は、はて。わかりませんけども。
「今日はばれんたいんだね」
朝ごはんの食器を片付けながら、かおくんがさらりと言った。
その唐突な発言にあなたは、デザートの桃を食べる手を止める。
「…バレンタイン、知ってるんだ」
「もちろん。いいいべんとだよね、あれ」
いべんと…。
馴染みのないはずの横文字を使うかおくんを見ていると、一生懸命に話を合わせようとするおじいちゃんを思い出す。
いや、実際、彼が生きていた時代を考えると同世代になってしまう、のか…?
今がだいたい何年なのかは分かるが、何月までかは正直なところ分からない。
なんたって、外から見える風景はいつも同じ。
だから、急に季節の催しの話をされても、反応に困る。
「…僕もほしかったなあ。君からのちょこれーと」
「…え、あげなかったっけ」
「ん? もらってないよ」
「ないかも」「ないと思う」ではなく「ないよ」と言い切るところから、それは事実なのだろう。
幼少期の記憶は、断然あなたよりもかおくんの方が詳しい。怖いぐらいに。
いや、でも、かおくん宛に作った記憶はあるのだ。たしか。
「絶対、作ったんだよなあ…」
「…でも僕、もらってない」
あなたがぽつり呟くと、むっと少し眉をひそめるかおくん。
もしも作ったうえで本人に渡してないとすれば、ちょっと失礼だよあ…。
こうなったらもう、今から作るしかないのか。とあなたは重い腰をあげる。
「―――あ、」
そこで、急に思い出した。
はるか昔の、2月13日のこと。
.
■■ちゃんの家は豪邸のようだった。
田舎はとにかく土地が安いので、■■ちゃんの両親は彼女のために大層いいお家を建てたそうだ。
大型犬が何匹いても困らないだろう、ブランコ付きの広いお庭。■■ちゃんのお母さんが植えたバラの匂いはいつもいい香りがする。
見た目は日本家屋だけど、中はまるで西洋のお屋敷みたい。
来るバレンタインに備え、■■ちゃんの家でチョコレートを作ることになった。
今日はかおくんの家に行くのはお休みだ。
「じゃあ、溶かしたチョコレートを型に入れよっか」
■■ちゃんのお母さんが、ボウルに入ったチョコレートをこちらに差し出す。
あたしと■■ちゃんは喜々としてそれを受け取り、各々用意したアルミホイルの型にチョコを流し入れた。
早く入れないと固まってしまうから、丁寧に、でも迅速に。そして型からはみ出ないように。
さて、ここからがお楽しみ。
用意してあったデコレーション用の材料を傍に持ってきて、あたしと■■ちゃんは顔を見合わせる。
「どうする? なにつかう?」
「おとうさん、ナッツがすきだからナッツいれようかなって」
「いいね! じゃああたしは~…」
順々にチョコレートにデコレーションを施してゆく。
お母さん、お父さん、おじいちゃんとおばあちゃん。■■ちゃんにあげる分もこっそり作る。
あ、あとは――
「かおくんにもつくってあげないと」
よいしょ、とハート型のチョコレートを手元に置いて、パラパラとカラフルなミックスチョコスプレーをふりかける。
かおくんはこんなの食べたことないから、きっと喜ぶぞ。ふっふっふ。
「…いるの、それ」
「え?」
「いらないんじゃない。そのひとは」
急に、■■ちゃんが怒ったような表情で、あたしに言う。
■■ちゃんは、かおくんの話をするといつもこうなる。やれやれ、仲のいい友だちを同時に持つと大変だ。
「■■ちゃんのもつくってあるよ、ほら」
「…そういうことじゃなくて」
「あらあら、○○ちゃんは「かおくん」にもチョコレート、渡すの?」
そばで見守っていた■■ちゃんのお母さんが、にっこりとほほ笑む。
それに■■ちゃんは、「おかあさん!」なんて咄嗟に声を荒げた。
■■ちゃんのお母さんは、あたしのお母さんと仲がいい。だから「かおくん」のことも知っているらしい。
「そう! たぶんたべたことないから」
「そうなんだ。ならそれは「本命」になるのかな?」
「ほんめい…?」
「ふふ。本命チョコはね、好きな男の子にあげる、一番、特別なチョコなの」
「渡せるといいね」と、■■ちゃんのお母さんが言った。
その瞬間あたしは、かおくんにチョコを渡すのが何故だかとても怖くなった。
.
「…やっぱり。あった」
かおくんの家の庭に出て、茂みになった雑草をかき分ける。
そこには、あなたが昔置いて帰った「かおくんに渡すはずだったチョコレートの箱」があった。
幼少期、バレンタイン当日。
かおくんに本命チョコを渡すことが恥ずかしかったあなたは、チョコの箱をここに隠して、そのまま彼の家に入っていった。
そんなことすっかり記憶から抜け落ちていたのだが、まさか今になって思い出すとは。
それに、当時から10年以上経っているのに、箱がこのように綺麗な状態で残っているのはおかしい。
これも自分が「そうであってほしい」と無意識のうちに願ったから出現したのだろうか。
あなたはその箱を持って、縁側から居間へと戻る。
そして、かおくんのそばで、その箱を開いた。
一枚の白紙のメッセージカードと五粒のチョコレート。
懐かしい。いわゆる女児チョコというやつだ。■■ちゃんと一緒に作ったんだっけ。
「…これが、ちょこ」
「…昔、かおくんにあげる予定だった、ね」
「あら」と顔をあげるかおくん。
同時にあなたは立ち上がって、隣の部屋からペンを持ってきた。
そして、メッセージカードに宛先を書く。
「かおくんへ」と。
「…本当に?」
居間に戻って、そんな呆然とする彼へ、あなたはゆっくりとチョコレートの箱を伸ばす。
「遅くなったけど」
「……」
「ハッピーバレンタイン」
「……ありがとう」
少し間をあけて、かおくんがチョコを受け取る。
それはそれは、嬉しそうな顔をして。
拝啓。昔のあたしへ。
やっと、渡せたよ。バレンタインのチョコレート。
なんで今さら思い出したのかなって思ったけど、まぁ、そういうことだろうね。
恥ずかしがって、逃げるアテは、今の私にはないから。
私は、この家から一生、出ることはできないから。
これが、過去の私との別離である。
そう思うと、うん―――
「…僕も、君のこと、ずっとだいすきだよ」
本当は、渡せない方が、正解だったんだろうけど。
繫忙期を終えたので、久しぶりに定時で帰れる。
誰もが早く帰路につきたい。家のこたつであったまりたい。飼い猫に会いたい。推しの配信を見たい。と、そんな独特な空気が流れるエレベーターから下りてエントランスの出口に向かっていると、視界の端から俊敏な影が飛び込んできた。
思わず「うお」なんて声が出る。
「あ、あの。すみません、ちょっと、これ、渡したくて」
「……え、俺?」
「は、はい」
「…あー…」
(…そうだった)
初めて祐嗣は、今日が2月14日。バレンタインデーであることを思い出した。
それ関連の仕事でもしていれば、もう少し肌身にでも感じるのだろうが、お生憎さまそんなイベントごとに現を抜かすほど彼の仕事は楽ではない。
目の前の女性社員は見たことがないので、多分他の部署の人間だろう。ちょっと長くてキラキラした爪。ちょっと高いヒール。多分営業部あたりの新人。
「…ありがとう」
「…あ、あっ。こちらこそありがとうございます!!」
「(こちらこそ…?)」
チョコを渡せて目的達成した女性社員は、そそくさと帰っていった。
その背中を見送って、手元の丁寧なラッピングに目を移す。
(…今年もか。どうしよう)
正直なところ、チョコをもらっても困る理由があった。
まあ、その、お返しに悩むところもそうだが…。
「あ、篠本!」
「…田中さん?」
「おひさ~」と、エントランスのソファに座っていた男性社員が右手を掲げる。
ほぼ丸刈りに近い短髪は今も健在らしい。寒くないのかと思いつつも祐嗣は、元上司である彼の元へ歩み寄る。
去年の忘年会は、多忙につき参加できなかったから、こうして会うのは久しぶりだ。
「見てたよ~。お前、今もモテんだな」
「…新入社員は知らないと思うので」
「そうだ、チョコ食えないんだっけ。アレルギー?」
「いや、ギリギリ、食えるは食えるんですけど」
それもあるが、シンプルに申し訳ない。というのが一番の理由。
先ほどの新入社員らしき彼女は祐嗣が乳製品アレルギーを持っていることを知らないから、わざわざこうして持ってきてくれた。
時が過ぎればそれを知る者も増え、チョコレートは贈られないようになってゆく。代わりに手作りのお菓子やら牛乳不使用のチョコを用意してくれたりする人もいた。
が、どうせそれも応えられるはずない。
彼がたとえ牛乳マシマシのチョコであっても本当に欲しいのは、唯一。ただひとりであるから。
「じゃあおれがもらっとこうか」
「いや、前も言ったなこれ」と田中先輩は口を噤む。
そして、勝ち誇ったようにソファにどすんと座り直した。
「ま、いいや。おれは妻からもらえますんで」
「ああ…俺が新人の時にチョコくれた」
「おーまーえーさー。今それ言う!?」
「お決まりのやつでしょ。先に仕掛けたの先輩ですよ」
「そうでしたー」
てへ、とギリギリの顔をしながら舌を出す35歳。
祐嗣がツッコみを入れるべきなのか、と悩んでいると先輩は「でもさ、」と続ける。
「あいつは仕事も辞めたし、もうおれの奥さんだからな。お前に取られないようにしないと」
「はは。なんですかそれ」
ははは、と先輩も同じように笑う。
冗談のつもりだったのだ。とはいえ心のどこかで、また自分の妻が元部下である祐嗣に対して恋愛感情を抱くのではないか、なんて要らぬ心配をしてしまったことは認めよう。
だから、
「しないですよ、自分。だって、本当に好きなら、誰かのものになる前になんとかしますから」
至極、真面目な男だとは思っていた。
仕事も真面目。私生活も真面目。飲み会でも下戸だとかいって酒を飲まないし、本当につまらない奴。
だから、そんな祐嗣の予想外な言葉に、彼は背筋が凍った。
「じゃあ、お先に」
と、チョコレートを脇に抱えて踵を返す背中に、田中は思わず立ち上がり声をかける。
「お前、今年の忘年会。来るよな」
振り返るその顔は、なんとも穏やかで―――
「…はい。行きますよ」
嘘をつくような男の顔ではないと、思っていたのだが。

